老害かく語りき




・この際だから、昭和シリーズを見て育った老害の愚痴を吐き出したいと思います。



・「ウルトラシリーズ」に対する私のスタンスですが、『ウルトラQ』から『ウルトラマン80』までの昭和の実写TVウルトラシリーズは一通り見ていて、モノブライト井口やガイガン山崎やタカハシヒョウリと一晩中語り合える自信がある程度には、全部好きです(細かすぎて伝わらない例え)



・ただ、それで育ってしまったが故に、以降のシリーズはTVは元より映画・オリジナルビデオ・アニメ等々を含め、ある程度さらってはいるけど昭和シリーズに比べると知識も熱意もかなり落ちちゃうのが正直なところで、最近になって「何故あの時もっと熱心に見なかったんだ…」と自分が残念で後悔しています。こんな老害は「全部大切にしろ!大切にしない奴は死ぬべきなんだ!」ハヌマーンに握り潰されても文句は言えない。



・で、昭和シリーズは全部好きとは言うもののやはり好みはありまして、個人的には『ウルトラマン』こそ原点にして頂点という原理主義者です。そして、初代が基準なのでその後のシリーズ、具体的に言えば『ウルトラマンA』以降に対してあまり良い印象を持てなかったのが正直なところです。シリーズを続けて行く中で新しい要素を入れるのは必要だと思うし、時代に合わせて変わって行かなきゃいけないのも十分理解しているのですが、感覚としてどうにも受け入れ辛い気持ちを抱いてしまうのです。



・色々と引っかかる点はありますが、特に気になるのが、昨今の「長ったらしいタイトルで内容をほぼ説明する」という所謂なろう系ラノベの先取りのように、シリーズが進につれて各話のタイトルが長く説明的になって行ったのが、とても残念です。視聴前は「どんな話なんだろう?」想像を掻き立てる短いタイトルが、作中の様々な内容を含んで言い表した最小限の言葉であるという芸術性にシビれるんです。「小さな英雄」なんて、美しさすら感じる「シンプル・イズ・ベスト」の極致。



・だから、初期ウルトラシリーズは「子供向け」ではあっても「子供騙し」では無いと思えるし、逆に以降段々タイトルが長くなる傾向が「子供騙し」っぽく感じられてちょっと引っ掛かりを覚えてしまう一因なのかなぁと思えます。「人間は考えることができなくなると、ものを複雑にして堕落してゆく」という成田亨の言葉の正しさは、徹底的に余分な物をそぎ落として辿り着いたウルトラマンのデザインが半世紀以上経った今でも通用する事が何よりの証明だと思います(カラータイマーは後付けですが)



・それとは別に気にしている事があって、私が『ウルトラマン』に出会ったのは幼稚園生の頃なのですが、一番好きな作品がリアルタイム世代ではないというのは、仕方が無いっちゃ仕方が無いとは言え、正直ちょっと悔しい気持ちがあります。



・藤子両名を筆頭としたトキワ荘レジェンド世代の多くが少年時代に手塚治虫の『新寶島』を読んで漫画家を目指したのは有名な話ですし、7歳で『新寶島』を読んで「言い難いほどの衝撃」を受けた宮崎駿曰く、「僕らの世代が、戦後の焼け跡の中で『新寶島』に出会った時の衝撃は、のちの世代の人には想像出来ないでしょう」とのこと。



・それと同様に、私が『ウルトラマン』に出会った時は本放送当時よりも世の中が発展していて、普段の世界の上では発展の恩恵を受けて過ごす事が出来ましたが(例:『ウルトラマン』をレンタルビデオで視聴)、その時よりも世の中が発展してなかったからこそ特撮が描く空想や夢の力がもっとあった本放送時代に『ウルトラマン』に出会った世代の受けた影響力を思うと、私が『ウルトラマン』を愛する気持ちを語る上で、微妙なコンプレックスが一生ついてまわるのです。



・余談ですが、『エヴァ』に関しては逆に、放送当時にシンジと同世代だったという、半分呪いのような誇りがあったりします。色んなところで言ってますが、『シト新生』の量産機旋回からの『魂のルフラン』の期待と不安が混ざった興奮と、『EOE』のお通夜をリアルタイムで経験した人は、同じ戦場を生き抜いた戦友と思えるのです。



・一般的に「ウルトラシリーズ」の最高傑作は何かと言えば、恐らく『ウルトラマン』よりも『ウルトラセブン』という話になりがちだと思いますし、『ウルトラセブン』の方が「特撮SF」という点での作品パッケージの完成度は上という意見がある事は否定しません。実際セブンの方が後の作品への客演や影響が大きく(息子が出たり)、作品としてもオリジナルビデオが作られたりソフト化の投票で『ウルトラマン』より上だったりと、人気は同等以上と言って差し支えないでしょう。でも私は、『ウルトラマン』の方が作品としての懐が深く世界観が広いと思うので、やっぱり『ウルトラマン』の方が好きです。



「怪獣対策専門部隊」「宇宙人と合体して秘密裏に平和を守る」「巨大ヒーローVS怪獣・侵略宇宙人」「宇宙人としての超常的な能力」「銀のボディに赤いライン」等々、今でこそ当たり前の「ウルトラシリーズ」の基本要素を初代の時点でこれだけ作り上げているというのは、エポックメイキングにも程があるというか、「発明」と言って差し支えないと思います。



・中でも特に、日本人にとって常識とさえ思える「腕を組んで光線を放つ」という発想は、何かの特番で庵野秀明も絶賛していましたが、本当に凄い。「スペシウム光線」というネーミングも絶妙。



・それと、成田亨には悪いけど、私は「カラータイマー」の存在も凄く大きいと思います。宇宙の彼方からやってきた正義の巨人は、しかしわれらを守る為に地球に留まるが故にエネルギー消耗が激しいという弱点を背負わざるを得ず、そしてその為にピンチに陥ってしまうのなら、手に汗握って「ウルトラマンがんばれ!」と応援することで感情移入と親近感が一層深まるのは自明の理。視覚的に非常に分かり易いのもポイント。作劇上の「特撮シーンを減らす為の方策」という大人の都合を知っても尚、プラスの要素の方が圧倒的に大きいとしか思えないです。



・というか、初代の時点でパッケージが完璧にも程があるので、のちの作品にとってはその完成度の高さが仇になっていると思います。先程も言いましたが、時代背景も含めて『ウルトラマンA』以降は「従来とは違っていなくてはいけない」という試みが、前向きな創作意欲というよりもある種の呪縛のように思えてしまい、実際当時としては思うような結果が出せなかった印象です。今となってはそれらの作品も大事なウルトラシリーズの1ピースですが、翻って見てもやはり、現在まで綿々とシリーズが続くのはやはり初代が偉大だったからに他ならない。

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